2020年4月12日日曜日

過去ブルべを振り返る(2011-2012年、初陣のころ)

「ブルベ戦記」 第365話



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新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大で、
日常生活が著しく制限されている毎日です(2020年4月上旬現在)。



各スポーツイベントは全休状態にあり、
私が関わっている日本国内のブルべも 、8月までの開催分については延期もしくは中止が決まっていて、ひたすらに、感染収束と秋以降の再開を心待ちにしている状態です。




で、ブルべがないと、この拙筆ブログも滞りがち、
という訳ではないのですが、

この暇な時期に、自分のブルべ歴を少し振り返っておこうか、と思いつきました。
(STAY HOME =在宅=では、何か打ち込めることがないと持て余しますし)


ということで、もう8~9年前になりますが、
私がブルべを始めた2011年~2012年ごろ、
印象深かったものを距離別に少し挙げてみましょうか。
(各ブルべの詳細は、リンクから当時のブログ記事をご覧ください)


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200km BRM416西東京200km山中湖(2011年)

公式HPはこちら


前年(2010年)暮れごろから、ブルベに出てみよう、と思い立っていたのですが、
明けて正月のシーズン最初の各200km大会はすでに定員一杯で締め切られていたほか、
その後、3月11日には東日本大震災(3.11)も発生。

新参の私が参加できたのは結局、この4月中旬の、夜10時スタート(しかも、家から25kmの町田発着)の200kmのナイトブルべ(制限時間13.5h)からでした。

AJ西東京は発足したばかりで、支部にとっても初めてのブルべ開催でした。
それがいきなりオーバーナイトの200kmというのも粋ですが(笑)、
コース設定も、今から思うと初心者にはずいぶんとハイレベル。
200kmにしては重装備にも見えるが、
初戦、しかも夜の山越え、ということで当時は大真面目でした。

3.11の直後でもあり、支部のHPには
「計画停電の可能性もあり、400km相当の装備(前照灯2灯、ヘルメットの尾灯)を強く推奨します」との記載も。

町田のケルビムで受付した後、22時前に近くの公園からスタート。
まずはPC1(有人チェック)の江ノ島へ。
町田から江ノ島を経由し、スタートから3hで小田原のPC2(コンビニ)に。
「前半区間を飛ばす作戦」だった。
小田原を出て、山北から真っ暗な坂道を延々20km以上のぼり、籠坂峠を越えて、夜明けの山中湖へ下る。
寒かったので、湖畔のコンビニ併設の無料休憩所は有難かった。
山中湖から朝の道志みちを一気に下り、町田に戻って9:04ゴール(クローズは11:30)無事完走できました。

エントリー85人(試走含む)、完走51人、DNS30人、DNF4人
※記憶ですが、DNSが多かったのは3.11の影響からだったか。








400km BRM423青葉400km御坂みち(2011年)

公式HPはこちら(開催一覧のみ/個別開催ページは残っていません)


上記↑のBRM416西東京200km山中湖の翌週(!)、
2回目のブルべで、今度はいきなり400km(制限時間27h)に出走していました。

しかも、またもや山岳ブルべです。


前半区間(登戸→飯能→秩父→藤岡→碓氷峠→佐久→清里)
後半区間(清里→甲府→御坂みち→河口湖→山中湖→道志みち→矢野口)

この2011年はちょうど、
4年に一度のパリ・ブレスト・パリ(PBP)を8月に控えていて、
私がブルべ参加を始めた春先の時期は、出場資格となるこの年のSR認定を夏前までに獲得する時期とも重なっていたのでした。


3.11でブルべ開催も延期などの影響を受けていて、
実質的な開催時期が4月以降で狭まっており、
PBP参加を目指すライダーは、より真剣だったと思います。

そうした雰囲気の中で自分もなんとなく、
ブルべにおけるPBPという世界大会の価値、
そのためにSRを獲得することを自分事として捉えるようになっていった、
と思います(私が実際にPBPに参加したのはこの4年後=2015年からでしたが)。



といった状況で、
続けてブルべにエントリーしたら、それが400kmだった、という、
今から思うと、勇敢というか無謀というか(よくやってたよな)と自省するのですが、

ひとえに、ブルべという新たなアドベンチャーに魅かれ、アドレナリンが出まくっていたのでしょう。


登戸。スタート前から激しい雨。
2度目のブルべ参加にして、こういうコンディションを経験したので
(ブルべとはこういうものなんだ)と、すっかり刷り込まれてしまいました。
「青葉スタッフには雨男がいる」との噂が立つようになったのはこの頃からだったか。

また、同支部はこの後も、急斜度の山岳ブルべに特化する傾向が顕著になり、
さらに「アオバヒドイ」という造語がブルべ界で語られるようになります(笑)


(以下、当時のブログの再録)

  AJ青葉の方は、ブリーフィングで、「仮眠所があるPC4(セブンイレブン山梨清里店)に23時までに入らないと後が厳しくなる」とお話しされていました。400kmを初めて走る(しかもブルベ2回目の)者にとっては、プレッシャーがかかることです。なにせ、清里にたどりつくまでには大きく分けて3回(ひとつ目の山伏峠、碓氷峠、野辺山)の山登りがある。

それならば、と、もともと貧乏性なので^^;、
先週と同様、できるだけ序盤は先頭集団に入って速いタイムで飛ばし、その後の山登りに余裕をもたせる作戦を採用した。

一方、中盤~後半は正直言ってぶっつけ本番。「未体験ゾーン」では作戦の立てようがない。あたって砕けろ(でも完走したい)、の心持ちだった。




(ブログ再録、つづき)

400kmを完走し、いろいろなことが改めて判明したブルベだった。

ゴール後、ベテラン勢にDNFが相次いだ、と聞いた。相当に厳しいブルベだったのかもしれない。初心者の自分も、200kmとは違って貯金が徐々に減り、何度も「タイムアウト」の懸念が頭をよぎった。


今回はPC通過タイムをレシート以外に手書きのメモにとどめておいたので記すと、

START(登戸)               23日7:00
PC1(ファミリーマート海田岩倉街道店)     8:50(制限10:00)
PC2(セブンイレブン秩父宮地店)        11:03(12:36)
PC3(ファミリーマート五料店)         14:32(16:56)

夕食休憩、ナイト準備(佐久、約40分)     17:15ごろ
通過チェック(セブンイレブン山梨清里店)      21:34(23:00目安)

PC4(セブンイレブン甲斐一ノ宮インター店)  24日0:11(2:16) 
PC5(セブンイレブン山中湖旭ヶ丘店)        4:22(5:00) ★

GOAL(セブンイレブン町田金井入口店)      8:53(10:00)

タイム 25時間53分(制限27時間)



1日目夕方、軽井沢を過ぎて、雨の佐久IC近くでラーメン。雨宿りも兼ねていた。
この後、清里までにカメラが雨で故障して、ゴールまでの撮影がない
(スマホはどうしていたのだろう、記憶がない)。

(ブログ再録、つづき)

速度について、平坦路は巡航30km/h台をキープし、ある程度の時間いけることが分かった。
距離がかさんで疲労してくると、これが25~27km/hに落ちる、といった感じ。

また、平坦路での単独走行では、2台以上の「列車」と比べ、単独走は数km/hは速度が落ちる。
前方に列車がいて、じわじわと離されるのはつらかった。
(とはいえ、知らない方々の列車に無許可で後ろから乗り込むのはちょっと抵抗感がある)

長い登坂区間は10~15km/h。先週の反省からダンシングも積極的に入れたが、後半は疲労や膝の痛み(後述)で、ダンシングはお蔵入りに。

御坂みちなど後半では、勾配が急になったり、疲労が重なった時は10km/hを割り込み、呼吸がかなりつらくなることも。こんな時、長い坂の途中で休憩するのは、夜で周囲は真っ暗闇だし、登る気力がそこで失われそうで避けたい。
 


そこで得意の「押し」ながら飲み物や食べ物補給する「小休憩」を入れる。この際は5~6km/h(苦笑)。
しかし、押しも疲れることには変わりない。すぐにまたペダルをこぐ。すると10km/hに回復、といった具合。このあたりは先週と同じパターンだった。
→追記)この頃は初々しさ、というか、潔さがあったんですねw


今回もエクセル関数で自分なりに区間目標タイムを割り出していた。
ひとつのPC(通過チェックも)で15分休憩、夕食に30分、トラブル対応に1時間を設定(計3時間分) 400kmを残りの24時間で割り、全体の平均速度を17km/hとした。

実際は、前半は1時間半~2時間ほど目標タイムを上回っていたが、さすがに碓氷峠を越えてから貯金が減りはじめ、佐久で30分ほど夕食休憩し、清里まで登ったあたりで自分の通過目標タイムは初めてマイナスに転じた。

どこかで踏みとどまらなければ、この区間目標タイムのマイナスが拡大し、やがてはタイムオーバーに至ってしまう。

クライマックスは御坂みち、とされていたが、自分にとってのクライマックスは、実はその後、御坂みちを下った先、河口湖から山中湖へ続く緩い登りの区間だったのかもしれない。ここが精神的に意外ときつかった。

制限時間までの猶予は山中湖までの区間で一時、1時間を切り、
PC5(セブンイレブン山中湖旭ヶ丘店)到着は、制限時間のたった38分前だった(=上記タイムの★)。 
このあたり、「我慢、我慢」と自分に言い聞かせながら、ひたすらこいだ、というのが真相。
まさに耐久走行、です。



「完全防水」の装備というのはなかなか得られるものではない、ということを痛感。
雨を見越してハンドルにくくりつけた完全防水のはずのウエストポーチが、見事に浸水。ポーチの中に水溜りが出来ていた。

デジカメは途中で結露して動かなくなり、帰宅後に調べたら携帯ラジオも壊れていた。
財布もびっしょりで、お札はすべて濡れ、コンビニで出す時にいちいち謝らなくてはならなかった。




オルトリーブのサドルバッグも、完全防水をうたうが、
開口部のわずかな隙間から雨水が入っており、中身が少しだけ濡れた。
ただ、基本的には、どしゃぶりでも何ら問題はない。

サイコンは1台がスタート後にすぐ誤作動し(雨が原因か)、もう1台ものちに調子が悪くなり、清里の下りから、区間距離の計測しか出来なくなった。よって、完走後の平均速度、走行距離などのデータは無し。

雨でも無事だったのはジェントスのLEDライト群。うちビニールで覆ったのは3本だが、どうしても隙間はあり、いずれも多少は濡れた。

ヘルメット上の閃に至っては、後ろのキャップの周りだけビニールで覆っているだけでほぼむき出しだったのだが、4本とも一晩、光り続けた。CATEYEの赤色尾灯2個も無事だった。これらは秀逸。



ノースフェイスのゴアテックス防水ジャケット(上・下)もほぼ機能していた。何年もだいぶ着続けているのでそろそろ怪しいのだが、前日に防水スプレーをたっぷりかけたおかげか?

BBBの防水シューズカバーをかけて走行したが、なぜか靴の中はぐしょぐしょになった。雨が小やみになった中盤に靴下を替えたが、これはぐしょぐしょ解消には効果があった。



雨に多いとされるパンクにも、幸い遭遇しなかった。
しかし、路肩近くの車道で、それらしい「物質」をたまにみかけた(もちろん避けたが)。

黒っぽいあれ。たぶん鋭利な金属片だろうか。

ふだんは路肩にたまっているものが、雨で車道にも流れ出すのだろうか。
なので、あまり路肩寄りを走らなかったし、路肩にはできるだけタイヤを入れなかった。



PC5の山中湖から道志みちの区間で、主に左膝の外側にピリッとした痛みに見舞われた。御坂みちの登りでの負担がかかったのだろうか。左脚がほとんどこげなくなり、かなりペースが落ちてしまった。

だましだましの走行となり、後続にも次々と抜かれた。このトラブルが無ければ、もう30分ぐらいは最終区間のタイムを縮小できたはず。帰宅後に調べてみると、どうも「腸脛靱帯炎」(通称・ランナー膝)らしい。階段の上り下り、クルマの乗り降りが厳しい。この痛みがきちんと解消しないと、次の5月のブルベ(青葉600km、西東京300km)が怪しくなる。





→追記)この故障は結局解消せず、このあとの300km、600kmは連続リタイヤを喫して、このブルべ初年のSR初取得はならず。翌年(2012年)↓へ持ち越しとなる。

2011年(ブルベ初年)戦績表
BRM416 西東京200km 山中湖  【完走】 晴
BRM423 青葉400km 御坂みち 【完走】 雨/晴
BRM514 青葉600km 鳥坂峠  【DNF】 晴
BRM528 西東京300km 富士 【DNF】 雨
BRM604(→611)千葉600km 茂木 【DNS】 雨
PBP2011(パリ・ブレスト・パリ1200km) 【参加できず】
BRM1009 埼玉400km アタック三保 【完走】 晴  
1119 ヴェロクラブランドヌール青葉走行会  【完走】 雨









600km BRM602青葉600km冷川峠(2012年)

公式HPはこちら(開催一覧のみ/個別開催ページは残っていません)


この前月(5月)、2回目の御坂みち400kmをDNFしていたこともあり、
初年はDNFだった600kmだったが、
次こそは、と意を決して臨んだ次第。

さすがに途中で気持ちが折れることはなく、初めて600kmを完走したのがこの時でした。


土曜朝から日曜夕方まで走り通し(35時間49分/制限時間は40h)
もう、8年前になるんですね。
この時は、調布市内の多摩川沿い児童公園からのスタートでした。
1日目午後、群馬県内に入ったが、翌朝には静岡県にいるはず、という600km特有の不思議な感覚
群馬・嬬恋から北軽井沢経由で長野県へ ここの登りは長い。
中軽井沢で早めの夕食
佐久を過ぎて、野辺山への登りの前に、ひと降り(青葉ですからw)
疲労と眠気がくる時間
甲府盆地を過ぎ、富士川沿いへ。
日付が変わり、静かなJR身延駅前で15分程度、ブルべで初めて野外仮眠というものをするなり。
(この時の自分の脚力では、この先の興津の健康ランドで仮眠することは出来なかった)
2日目朝、富士川沿いを清水へ進むうちに夜が明けてきた。
また道路わきで少し仮眠していると、後続グループがきたので、混ぜてもらう。
新東名高速道路の高架が見えてきた。もうすぐ太平洋岸
清水のPC
駿河湾沿いの興津を東へ進む
沼津を通過
冷川トンネルを抜けて、伊豆・伊東へ
熱海を通過
小田原を過ぎ、湘南まで戻ってきました。
藤沢にて
2日目夕方、もうすぐゴール
稲城・矢野口のローソンへ。600km、お疲れ様でした~
翌月曜日は、普通に出勤していました。
ブルべ翌日の食欲(ブルべ腹=爆食)に快感を覚えるようになったのも、この頃からか。








300km BRM810北海道300kmパラダイスウィーク(2012年)

公式HPはこちら(前年のトライアル走行会の写真のみ/個別開催ページは残っていません)


ブルべ参加2年目の2012年は前述↑の通り、正月から本格参戦し、
6月までに初めてのSRを達成することが出来ていました。


2012年(ブルベ2年目)戦績表 【SR確定】
BRM107 神奈川300km 鎌倉  【完走】 晴/曇/小雨
BRM318 青葉200km 道志みち  【完走】 雨/曇
BRM421 西東京200km 山中湖 【完走】 曇/(自走帰路で小雨)
BRM512 青葉400km 御坂みち  【DNF】 晴
BRM519 西東京300km 富士 【完走】 晴/曇 
BRM526 青葉600km 鳥坂峠  【DNS】 晴/曇
BRM602 青葉600km 冷川峠 【完走】 晴/曇/雨
BRM623 西東京400km 富士大回り 【完走】 曇/小雨 
BRM630 青葉400km 富士 【DNS】  
BRM728 青葉200km 新雛鶴 【完走】 晴
BRM808 北海道600km パラダイスウィーク 【DNS】 
BRM810 北海道300km パラダイスウィーク 【完走】雨/曇 
BRM908 青葉300km 甲斐 【DNS】 
BRM922 青葉200km 明神 【完走】晴
BRM1006 西東京200km 道志みち 【完走】晴
BRM1006 青葉600km 関東一周【DNS】
BRM1027 青葉200km ヤビツ【DNS】 



その余勢で、夏休みには初めての北海道遠征。

日程の都合から、パラウィー(4区間1500km)のうち、エントリーしていた600kmはDNSでしたが、
最終日の300km(帯広→旭川→札幌 制限時間20h)に出走。
時折どしゃ降りの雨に見舞われる、あいにくのコンディションでしたが、高速巡航しやすい北海道ブルべらしく、12時間43分で完走しました。


関越道で新潟へ。長い夏休みがとれたので、空路ではなく、バイク積んでひとりマイカーで行くことに。
小樽着は翌朝。大きなフェリーでゆったり船旅。
まず小樽に上陸。懐かしい風景。
クルマは札幌駅前の立体駐車場に預け、ブルべ支度して高速バスターミナルへ。


札幌から帯広へバスで移動(JR特急でもよかったですが)。
十勝平野へ
帯広駅前のホテル着。

炭水化物を調達
ところが、です。一夜明けると、帯広は雨でした。

帯広近郊のスタート地点
(というか、すでに1200km走ってきた人たちにとっては、最終区間300kmの始まり)
十勝平野から、まずは北の旭川を目指します。
狩勝峠を越えます(撮影・AJ北海道)
午後、富良野に入ってからも、天気はぐずつき気味
PC1 Aコープ麓郷店
旭川市近郊で、ついに土砂降りに。
PC2 深川市近郊の、今となってはすっかり馴染みの「セイコーマート多度志店」にて。
ここから先の100km以上、札幌までずっとウエット路面の国道で、
縦溝でスリップして落車も一度やらかしました。
札幌市内に入ったころには雨が上がりました。
充実感とともにゴール受付へ。


さらに札幌駅前まで自走して、停めていたクルマに戻ります。
ホッとするひととき。
翌日、札幌近郊・定山渓の露天風呂に。
天気がいいので、コインランドリーで洗ったウエア類を乾かします。
雨のブルべはこうなる、の典型。
札幌市中心部に戻って、さあ、ここからは夏休みの観光のつづき。
遠征ブルべは、本番前後も大いに楽しむべきです。
ブルべ腹が止まりません。
この日は小樽近郊に移動して、ひとりのんびり、海辺キャンプ。
砂浜にはキャンプのテント、たちのぼる煙があちこちに。静かな北の夏。
さらにもう一日、遊びます。まず、札幌近郊のスウェーデン・ヒルズに。
続いて札幌市内の、イサムノグチの遺作「モエレ沼公園」へ。




日が暮れてきて、この旅の最終晩は、札幌近郊の北広島。
うちが所有する、100坪の小さな家庭菜園の前でキャンプ。
もちろん、東京にいる自分には家庭菜園は維持できないので、地元の農家の方に貸しています。
その収穫物はたまに分けてもらっています。




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~とまあ、こんな感じで、今から8年ほど前、ブルべを始めた頃は過ごしていました。

あっという間のようにも感じますが、「初心忘るべからず」というか、
今でも、自分なりのブルべのやり方、基本的な志向は変わっていないかもしれませんね。